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2010/05/25

several things

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週末に太ってたと思ってたけど、現状維持だった。

昨日、同期のやまちゃんとこにUSBモデムが届いたそうだ。

早速、夜ゴロカのちかと3人でチャットをした。

色んなとこがPNGクオリティで不満はあるけど、やっぱネットが使えるってよい。

 

昨日の話は抽象的な話じゃなくて、ものすごい厳密な科学的な話しとして書きたかった。

そう、哲学って難しいことをひたすら考えて、こむずかしい言葉を使って、なんかぼやっとしたイメージもってたんだけど、哲学者の話聞いたり本読んだりしたら、イメージ変わった。

哲学者は考えたことを理論的に破たんしないように、他者に伝えるために文章化するということをする人たちと思う。

それは、ものすごい厳密さが要求され、そのために文章にする時の言葉の選び方が複雑になるので、分かりにくいのだと思う。

ものすごい密度の文章と思う。

ということで、哲学っていうものは曖昧なものを具体的で客観的に見ようとする、厳密な科学なんだなあ、と思ってる。

kogのコメントはいいこと書いてると思う。

共感はお互いの主観同士が同じように感じられたときのことだと思う。

でも、主観同士はなかなか同じようにはならない。

家族、恋人、友人なんかはそれが近い関係なんだともう。

こんな感じか 主観A≒主観B

逆にそれがものすごい違う人とはなかなか仲良くなれない。

でも、人間は社会的生き物だから、いろんなひとと折り合いをつけていかなくてはならない。

だから、自分の主観と客観を近づけよとするのではないか。

みんなが客観に近づけば 主観A≒客観≒主観B こんな経路でお互いが近づける。

逆に主観のみを追求してるのは芸術家と思う。

自分の主観的な部分のみを追求することで、人間に共通している主観に到達できた人が一流?

 

英語について

英語はあくまでも自分の中にあるものを表現するための道具なので、英語だけを使えるようになってもあまり意味はないと思う。

何を表現するかということも同時にもっていかないと意味のないことをペラペラと話すだけの人間になる。

意味のない言葉は、それはすでに言葉ではなくタダの音なので、英語とは言えない。

もちろん、中身だけあってもそれを表現する術がなければ、自己満足の領域にしかとどまれない。それでいいならいいんだけど、おそらく人間は表現したいという本能があるので自己満足の領域から出られないことはストレスになる。

表現する術は英語だけじゃない。日本語もそうだし、他の言語もそう。ボディランゲージもそうだし、表情なんかもそう。

そういうのを使いこなせれば使いこなせるほど、正確に表現できると思うので、それらを勉強する必要はある。

つまり、一生懸命英語の勉強をしなさいってこと(笑)

でも、知識だけじゃなく、道具なので使い方を覚えましょう。

ゲームの説明書や攻略本だけ覚えても仕方ないけど、何も読まずにいきなりゲームするよりはずいぶんと効率的でいい結果になるのと同じような感じかな。

 

思いつくままに、いろいろ書いてしまった。

まさにチラシに裏だ。

気の患者さんが退院したので、今は、一人だけ。

ヒマだ。

りゅ

1 件のコメント:

  1. なかなかヒコツ頭事件からアップされないから、
    どうしたかと思ってたら、語りになっててびっくりしたよ。

    共感のためには、お酒と一緒に暴れるのもいいよね!

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