ページ

2010/05/24

midnight thought

目の前にあるものは、ホントにそれがそれとしてそこにあるのか?

これは客観と主観の問題である。

結論から言うと客観的なものなんてない。

たとえば、究極の客観性をもったモノとして神様がいるとする。

目の前にリンゴがある。

神様の認識しているリンゴと自分が認識しているリンゴは同じだろうか。

違う。

自分がそのリンゴを認識するときには必ず主観的にならざるを得ず、客観的に見ることは不可能だから。

その赤色ははたしてその赤なのか。形はその形なのか。それは厳密にいえば必ず異なっているjはず。

だから、神様を仮定しなくても、となりにいる友達や家族とも同じものを同じように認識していることはあり得ない。

目の前のリンゴはとなりの人が見ているリンゴとは異なる。

こういう感覚は重要だと思う。

りゅ

4 件のコメント:

  1. なつかしい、りゅうさんの語り。
    よく学生のときも、就職してからも、語ったね。
    隣の人の視るリンゴは、確かに異なる。
    でも、似ている部分も、ある。
    その、似ている部分も重要だと思う。
    似ている部分があるから、他人と共感していると錯覚し、他人を好きになれるんだと思う。
    パプア人と違うところもいっぱいあると思うけど、がんばって!

    ちなみに、今日は私の結婚記念日。
    DVD、見てみた。
    りゅうさん、結婚式の友人代表スピーチ、ありがとうね。

    返信削除
  2. 哲学っぽいけれどヨネが言いたい事がわかるような気がする。

    育った環境や経験してきた事によりモノ、コトが違って見える。

    比較的、俺とヨネは環境は違えど感覚が一致していたと思う。

    人間の感性って難しいよ。

    『普通』、『一般的』なんて言葉があるが誰が統計取ったの?って感じ。

    人それぞれで良いと思う。他人に迷惑かけなければ。

    しかし、ヨネと約束した2年後の件はそうはいかない。

    50名の従業員の『気持ち』を考え臨機応変の対応必要あり。

    その為にも日々、経験です。

    返信削除
  3. >kog
    結婚何年だ?2年、3年?

    夜中になんだかんだと考えてることをある程度のボリュームで文章化するという試みをしてみた。
    むずかしいね。
    話せばいくらでもペラペラ出てくるのにね。

    返信削除
  4. >keyさん
    集団に属せないオレにはkeyさんの苦労は想像もできませんが、何とかなるんじゃないかと信じてますよ。
    オレは自分の2年後も読めませんから、尊敬します。

    返信削除