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2010/06/06

salad

T隊員の遺産に雑誌ニュートンがある。

その記事に筋肉痛と年齢のことに関する記事があった。

PTなら多分知ってると思うが、一般的に「運動した二日後に筋肉痛が来たから年取ったね」的な発言は間違いだ(と思う)。

同じ負荷が筋にかかったとしたら年齢に関係なく同じタイミングで筋肉痛は発生する。←これは実証されてたと思う。

まあ、そんな記事だった。

では、なぜそういう間違った(と思われる)一般常識みたいなのがあるのか。

年取ったらきつい運動をしなくなるから、という説がある。

心肺機能脳の低下や精神的なものの変化なんかが要因として考えられる。

筋への負荷が低いと年齢に関係なく遅れて筋肉痛が発生する。

で、考えた。

直接ではないけど「年をとる」≒「筋肉痛が遅れてくる」ってのは成り立つのではないか。

「年をとる」≒「重い負荷の運動をしなくなる」≒「筋肉痛が遅れてくる」の関係がある立つのではないか。

ここで注目するのは≒(ニアイコール)ってこと。

そのニア具合が一般的に認められてる程度の幅なのかってこと。

んで、一般常識的にさっきの過ちとされた理屈がまかり通ってるということは、一般的に認められる程度の幅に入るのはなかろうか。

と、言うことで冒頭に「間違い(と思う)」と書いた。

もうちょっと考えた。

以下、何も調べずに今頭の中にある知識のみで書いてるので嘘があったらごめんなさい。

 

筋肉痛は筋に負荷をかけたときに筋線維が傷ついてそれを修復する過程で生ずる。

もうちょっと考えると修復する過程で何やらかんやら生理学的な機序を経て疼痛物質が発生し、それにより、感覚神経を経て痛いよっていう信号が脳に行って、脳の中で、お、これはこれくらいの痛いっていう信号が来たからこれくらい痛いって感じようってことで痛いと感じている。

最初の生理学的機序の中には多分、化学的な要素がいっぱいで、栄養状態とかが結構関係してそう。

んで、感覚神経を伝わるときにも物理的な要因(解剖学的な神経の位置や損傷とかそんなの)や化学的要因(シナプスのとことかで)なんかが絡んでくる。

で、最後に脳に信号が来た時、これは痛みの度合いや質は過去の記憶なんかとも比較され、その痛みを感じてる。

ここはその人の過去の経験が絡んできて、ものすげー個人差があるはず。

たとえば、仮に同じ程度の筋の損傷があって脳に伝わってる痛みの信号の量は同じだったとする。若い時はそんなことは日常茶飯事で慣れてて、年取るとそんなことは年に一回もなくて。そういう状況なら、多分後者の方が強く痛いと感じるし、記憶にも残るでしょう。

あと、脳の中で他の情報との兼ね合いもある。

たとえば他のことに集中すれば痛みを忘れるとか。

 

で、何が言いたいというかと、原因と結果ってなかなかすぐには結びつかないなってこと。

その結果を引き起こしている原因ってのはよーく吟味する必要があるということ。

あと、これが原因っていうにはどれくらいのニアイコールの幅を許容するかってこと。

理論上には完全なイコールはあるともうけど(1+1=2)現実的にはないでしょ。

PTもEBMとかEBPTとか何かと科学的にとか言われるけど、科学的に考えれば考えるほど、曖昧ってことが分かってくるという矛盾。

 

えーこんなことを便座の上で考えてました。(ニュートンはトイレに置いてあるので…)

イメージにこんなことが浮かんだのは数秒~十数秒くらいだけど、文章にするとなげえな。

こんなことを考えているときは快便ではないのである。

サラダが食べたい。

P1030060

りゅ

2 件のコメント:

  1. ああ、めんどくさ~~

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  2. なるほど~
    原因が同じでも処理過程が変わってしまうと
    結果も変わってしまうということでしょうか。
    さらに原因の定義があいまいだともう因果関係を
    議論できなくなるね。

    昔俺が子供のころ面白くて夢中で読んだ本を
    今息子と一緒に読んでいるけど全く面白く
    ありませんw。なんでかなぁ。
    そんなことを思い出しました。

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