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2011/02/21

language

ネットが復活した。

なぜ使えなくなったのか、なぜ回復したのかいつも分からい。

 

同期でアフリカにいる隊員のブログに書いてあった。

その国では教育は全部英語で行うという政策だったのが、小学校の低学年(1,2年?)までは現地語で行うというものに変わったらしい。

それを受けてその隊員は、

子どもが小さい時には母国語で教育すべき。物事を考える場合、母国語で考える。中途半端な母国語と英語を身につけてしまうと、考えること自体が中途半端になってしまう。そんな状態では、(英語教育による)国際化云々の前に、その国自体が成り立たなくなってしまう。

こんなことを書いていた。

まさにその通りと思う。

考えた。

その母国語自体が深く物事を表現できるだけの語彙や機能を持っていなかったらどうなるのか。

ここの国語は英語、ピジン語、モツ語と一応3つあるが、一般的にはピジン語が一番広まっているのでピジン語が母国語とおもわれる。

ピジン語は英語を簡略化した言語で、文型、単語の意味、品詞、時制、全てがテキトウ。

一つの単語でひろーい意味を持つ。

広い意味を持つと解釈しているのは聞いてる方(オレ)であって、PNG人にとってはそれは一つの言葉でしかない。

英語でriceは米、稲、ごはん、白米などの意味を示すけど、riceと聞いて英語圏の人が「米、稲、ごはん、白米・・・」という概念を持っているわけではないというのと同じかな。

更に母国語と言う概念も怪しい。

この国にはピジン語の他に村ではそれぞれの村独自の言語がある。

学校に行くまでは村の言葉で育ち、小学校からピジンと英語を中途半端に学び、でも、家に帰ると村の言葉での生活。

村の言葉は口伝のみできちっとした体系などはないと思う。

 

さて、彼らの思考はどうなってるのでしょうか?

 

りゅ

1 件のコメント:

  1. Beppin2011/02/21 22:53:00

    お父さん~繋がったらしいで、読む?
    読んだお父さん「今日は、ええ事を書いとるなあ。」
    今日は!の所に着目・・・・車、バイクの話にノレナイ父の心からの共感だろう。ありがたいなあ。代筆 何でも首をつ込むくせのオカン

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