まずは離島ダイエットの失敗の結果。
87.5kgくらい。
食わないだけのダイエットに体が慣れてしまって省燃費型の身体になってしまったようだ。
去年は同じような食生活で、勝手に月に2kgずつくらいは落ちてたのに・・・
この調子では、帰国時も多分こんな体重のままだ。
人生でこんなに楽に(誘惑の無い状態で)ダイエットできる機会は二度とないと思われる。
ついに、能動的な運動というめんどくさーいことをしなくてはならないみたいだ。
あぁ、めんどくせー。
で、本題。
事の始まりは3月の第1週にNational Orthotic Prosthetic Services(NOPS)のボス、ラジェッシュと言うインド人から電話があった。
ラジェッシュ 「さ来週にブカで障害者に義足とか作るサービスやりに行くけど、その連絡行ってる?先週ファックスしたんだけどさ。」
そこで、院長の部屋に行き秘書に確認。
秘書「んー、来てないよー、院長に確認してー」
院長「おー君は日本のボランティアか。」
そう、院長にはこの時が初対面だった。
赴任した時には院長の籍はあったけど、なんかの資格を取りに首都の学校に通ってるってことで、ずーっと病院にはいなかった。
それが年明けに帰ってきてたらしい。
で、
院長「ほーそういうサービスが来るのか。いいねー。やってくれ。」
秘書「ファックスってこれ?」
院長「ほー場所はこちらで用意するのか。わかったわかった。」
このようなやり取りののち、開催決定。
NGOのカランサービスのスタッフとも打ち合わせして、オレはカーテレットへ。
で、島から帰ってきたら、やってるやってる。
部屋が狭いので軒下で作業してた。
日本でも義足の作成は見たことあったけど、結構違う。
しかし、ここにあるものを上手く使って、品質とかはともかくちゃんと形にして仕上げるってことは素直にすごいと思った。
採型にコンドーム使ったっり、補聴器の型取りにマニキュア使ったり。
採型して、断端のモデル作って、樹脂でソケット作ってなどなど、4日で完成。
もちろんそのあとに歩行練習とかはオレの仕事なんだけど、結局多くの人は病院に通えるわけもなく、取り敢えず作って持って帰ってった。
オレの隣の人がNOPSのボスのラジェッシュ。
彼らのエネルギーには驚いた。
毎日12時とか1時まで作ってたらしい。
オレは夕方には帰ってたけど。
4日間で、義足14個、義手2個、その他補聴器とか車いすとかそういうのも配ってた。
最後は完成した義足とか車いすとかを利用者や病院への贈呈式。
何が疲れたって、カラン所属のPTがアラワ(ブーゲンビル旧州都)からやって来てたってこと。
ニュージーランド人女性で多分50歳くらい。
オレは日本では脳卒中しか経験がない。
いつもは分からんことでも、さも分かってる風にやってるけど(堂々としてるってことが大切だからね)、ほかのPTがいるとごまかしがきかない。
しかも、なんで欧米人って世界のみんなが英語が出来て当然って感じで話しかけるかね。
何言ってるかよくわからん。
患者さんの手前、分かってる風を装いながら、彼女の雰囲気に合わせてずーっと患者さん見るってすげーストレス。
もちろん、歩行の動作分析なんかは脳卒中と共通してることも多いし、患者さんさわってりゃそれなりにできるけど、まあ、疲れた。
そんなこんなで島で疲れて、ブカでも疲れて、先週末はダルさと微熱で久々にダウン。
それでもゲッソリはしないんだなぁ・・・
りゅ
このところ、何度かコメントを書いても、なぜだか消えてるのよ。決して読んでないわけではない。痩せもせず、仕事をやっている旨、結構。ゲッソリまでは期待しないが、ホッソリ位までは期待している。
返信削除最近英語バージョンないなあ・・・