やっとネットが繋がった。
帰国の予定について。
こないだJICAより待ちに待った片道チケットが届きました。
帰国は1月11日で、夜の8時か9時くらいに成田着。
そのまま、都内のどっかのホテルに泊る。
翌日から帰国後プログラムというのが3日間あるので、土日はさんだ16日の月曜までそれ。
それが終わって、全部終わり。
その週くらいは東京にいようかと思ってはいるけど、具体的には未定。
そんな感じです。
りゅ
やっとネットが繋がった。
帰国の予定について。
こないだJICAより待ちに待った片道チケットが届きました。
帰国は1月11日で、夜の8時か9時くらいに成田着。
そのまま、都内のどっかのホテルに泊る。
翌日から帰国後プログラムというのが3日間あるので、土日はさんだ16日の月曜までそれ。
それが終わって、全部終わり。
その週くらいは東京にいようかと思ってはいるけど、具体的には未定。
そんな感じです。
りゅ
ネットが不安定で、ちょー遅い。
こないだの記事もなかなかアップできずに1時間くらい投稿→エラーで失敗を繰り返した。
そんで、その後は全然繋がらなくなってた。
それがさっき、やっとつながったんだけど、やっぱ激遅でファイル添付のメールなんかはうまく落とせない。
ネットも画像はあんま見れない。
ということで、今回の記事は写真なし。
で、久々にネットにつながったので、ちょこちょこ見てたら友人Fのブログに衝撃の記事を発見した。
「新しい相棒」というタイトルのそれは、バイク購入の記事だった。
しかも新車。
画像はなかなか開かなかったのだけど、そこは粘った。
分かりにくい写真!
でも、多分、ER-4n。
並列2気筒エンジンとか変な位置のリアサスとか、今までなかったようなタイプの400ネイキッド。
ABSは?
乗ったらすげー面白そう。
あー、いーな、いーな。
いーーーなーーー!
ということで、オレのバイク欲はものすごくファシリテートされてしまった。
が、ネット不自由だし、妄想話す相手もいねえし・・・あーーーーっ!!!
りゅ
まずいまずい。
このブログは本来ダイエットブログだったはずが、ずっと忘れてた。
8月後半からの忙しさ、ストレス、POM滞在の長さなどによりなんも考えてなかったら、やばいことになってしまった。
90kg
緊急減量作戦開始である。
帰国したら嬉しくてなんも考えずに食いまくるのは目に見えてる。
それを見越すと、今の体重は非常にまずい。
帰国までにマイナス5kg目標。
帰国まで50日ちょい。
ということで、1日100g。
これからはちゃんと体重計に乗ろう。
りゅ
先週からPT隊員が2人Bukaに来ている。
で、彼らがマーケットでドリアンを買ってきた。
ドリアンといえば、昔フィリピンにいた時に初めて食った。
その時は飲み込むことができず、吐いた。
その数週間後にまたまた食べる機会があり、食べた。
その時はうまくてバクバク食ってた。
フィリピン人に「鼻血が出るぞ」と言われた。
んで、PNGでは・・・うまかった。
4人で食って、一人は全然ダメ。
もう一人は最初「くさっ」と言っていたが、しばらく食べてるうちに「まあ、食える」と。
オレともう一人は「うまい」。
2勝1敗1分けでした。
りゅ
4日目と5日目はO隊員の配属先であるSt.Mary病院で。
2日間とも基本的にはケーススタディ。
実際の患者さんを各グループで見て、その内容を発表する。
その前に、どんな感じで見て発表するかという導入部分がオレの役目だった。
今回のテーマに沿った発表にしようと前日まであーだこーだと考えて、一夜漬けの発表だった。
↑疲れ過ぎて、かなりダメな顔でしゃべってたと思う。
参加者の反応を見ながら内容をちょっとずつ修正していく。
それまでピジン語に阻まれて全く出てこなかった英語が、この時はそれなりに出てきてくれて助かった。
そんで、大体予定通りに患者さんが到着して、ケーススタディ、スタート。
オレのグループはせき損の子供だったんだけど、緊張のため途中泣きだしたり、いろいろあったけど、その後、ディスカッションして翌日の発表に備える。
この日はF隊員が患者送迎のため会場にほとんどいなかった。
なので、オレが全体の流れもコントロールしないとダメで、自分のグループのディスカッションにいはあんま参加できなかったのはちょい残念。
その分、飛び入りに近いS健康管理員にファシリテーター的なことをしてもらい助かりました。
で、翌日は午前中に発表準備して、午後に発表。
↑各グループ代表者が口頭発表
疲れがピークなのと、その後のスケジュールの事など考えたりしてたので、他のグループの発表内容はほとんど聞いてなかった。
この発表は技術顧問のT先生さまさまで、先生にまとめや質問などしていただいた。
先生のおかげでうまく回ったようなもんだ。
で、無事発表も終わり、最後はT先生にまとめの講義をしていただき、JICAの国担当のIさんより締めのあいさつと終了証の授与をしていただき、ぜーんぶ終わり。
↑全部終わっての記念撮影
もうちょいスマートに運営したかったという思いもあるけど、そんな余裕もなく一所懸命な感じ出まくりだったな。
んで、最終日の翌日、Bukaへ帰る飛行機が3時間遅れた。
朝、ホテルで見送ってもらった人たちを、空港で逆に見送ることができた。
やっぱ、パプア(笑)
りゅ
研修2日目と3日目はF隊員の配属先であるNonga病院のリハ室で行われた。
実技講習中心で、各職種の紹介、それぞれの得意分野の実技など行った。
↑PTは移乗動作
↑OTはおもちゃの使い方や、ボディイメージの体験みたいなやつ
↑Nsは整理整頓と手洗い
↑ポーズを取る
↑H隊員はバンコクで習ったTTDTの紹介
どうしてもいつもはPTの視点でしかものを考えられないので、他職種の人の話は面白かった。
午後は少し時間があったので、希望者で慰霊碑など見て回った。
火山のとこに行く予定だったけど、なんとオーストラリア海軍の演習ということで、立ち入り禁止。
ちょうど、ラバウル見渡せるとこにた時に「ズゴッゴォー!」と行く予定だった場所が爆撃されてました。
↑オーストラリアは何でもありかい!
りゅ
研修初日はココポのカランのオフィスで行われた。
偉い人たちの挨拶に始まり、参加各国の紹介などなど。
↑Gawa氏(偉い人ではない)
↑指さすMichael Wilson氏(偉い人)
今回はすったもんだの末、PNGのPTで偉い人二人を呼ぶことができた。
末端での活動だけではあんま威力がないけど、これを機にトップダウンの方からもアプローチできれば、威力出てくると思う。
で、昼めしではシンシンまで出てきて、いい雰囲気の出だし。
しかし、このランチにはオレは参加できず。
会場で、午後の準備をしていたのであった。
↑んー、裏方の仕事してるっぽい。
午後もスケジュール通りに進み、オンタイムで初日は終了。
んで、夜はウェルカムパーテー。
宿泊先のホテルで夕食。
予定外のシンシンなどもあり、これもいい感じだった。
ということで、初日終了。
りゅ
研修前の土曜日、ソロモンとサモアから参加者がやってきた。
首都からラバウルまでの乗り換え。
そこで大惨事。
チェックインカウンターに並んだのはボーディングの1時間半くらい前。
そこから、カウンターのとこにたどり着いたのが1時間半後。
つまり、乗れなかった・・・
カウンターの人が待ってる客をさばき切れなく、そんな時に限ってオンタイムで飛行機は飛んでいく。
ということで、サービスカウンターでその日の宿泊先と翌日のチケットの手配を受ける。
のに、8時間かかった(笑)
昼に空港について、出たのは夜9時前。
ひたすら座って待ってる海外からの研修参加者たち。
カウンターでひたすら手続きを待つ、オレとH隊員。
他の便にも欠航があり、サービスカウンターの前に人だらけ。
遅々として進まない手続き。
カウンター越しに見てると、そのあまりに非効率的な動きにイライラ。
エアニウギニ職員はどこまで行ってもマイペースで、見えるとこでメール打ったり、メシ食ったりもする。
イライライライラ・・・
「Yu mas baim tiket !」 「Do your job!」
あの温厚なH隊員の怒鳴り声を初めて聞いた。
待ち疲れた海外からの隊員は体調悪くなってしまい、顔真っ青でうずくまってるし。
あぁ、大惨事。
結局、ホテルの手配が全員できず、オレらはドミ泊。
翌朝は4時半に空港に行った。
なにやらピリピリムードで、5時にならないと空港内に入れないという。
ホワイトボードにはその日の朝の臨時便と思われる便が書かれている。
10便以上の臨時便?
まあ、そんなことがありながらなんとか全員無事に飛行機に乗れ、ラバウルには到着した。
海外からの参加者にはPNGのきつすぎる洗礼だったみたいでした。
りゅ
今週は月‐金で第4回の大洋州リハ広域研修が行われた。
開催地はココポ、ラバウルで、去年のソロモンでの広域研修が終わった直後から構想1年。
ラバウルF隊員と二人で準備を進めてきた。
テーマや内容決め、参加者との連絡、事務手続きなどなど、まあ、いろいろあった。
実際に始まればタイムマネージメントや配車、食事などなど、これまたいろいろあり、久々に日本人感覚の仕事をした。
あーーー、疲れた。
今は、帰りの飛行機を待つラバウル空港。
8時50分発の予定が、現在の情報で搭乗が11時半。
でも今、11時28分で、乗る予定の飛行機は到着していない。
やっぱりパプア・・・
りゅ